2010 / 04 / 02

プロ野球
僕の好きな選手 ~木村拓也

今日、プロ野球・巨人の木村拓也コーチが
試合前の練習中に突然倒れ、意識不明の重体となりました。

昨年、惜しまれながらもユニフォームを脱ぎ、
後進の育成に新たな情熱を注ぎ始めた矢先の出来事でした。
しかも、楽しみにしていた古巣・広島の地でのことでした。


僕は広島カープファンであり、移籍してしまった選手には
基本的に応援し続ける気持ちはあまり起きないんだけど、木村拓だけは違いました。

それは、彼の広島の去り方(アホ監督ブラウンの迷チーム作りのせい)にもあったけど
何より彼の選手として在り方に、とても共感を覚えたからでした。


「野球の醍醐味は?」と訊かれたら、一般的には
「豪快なホームラン」とも「胸をすく奪三振」とも答えられるでしょう。

でも、木村拓にはホームランを狙って打てるパワーもなければ、
時速150キロを超えるような剛速球も投げられません。
決して体格も恵まれてるとは言えず、持って生まれたスター性もありませんでした。

ただ、彼は逆に、そんな自分がどうしたらプロの世界で生きていけるのかを考え、
便利屋であり、クセ者であることに方向性を見出したのでした。

スイッチヒッターであり、投手以外の全てのポジションを守れる
ユーティリティー・プレイヤー。 それが彼の代名詞であり、勲章です。



どうか、元気になって欲しい!

たとえ現場コーチへの復帰が難しくても。
命さえ拾えれば、彼ならいくらでも新しいフィールドを見つけられるから。

現役時代の彼がそうだったように。

カミ様ホトケ様を信じてはいない僕だれど、
僕個人の願いではなく、もっと大きなプロ野球ファン、木村拓ファン全員の願いとして
どうか彼の命だけは救って欲しい!!



★選手時代の木村拓にまつわる、僕の大好きなエピソードを
 ウィキペディアより転載します。

※もちろん無許可なので、もし誰かがこれを見かけて問題に思ったら
 連絡をいただけたらと思います。すぐに対応しますので。

 ただこの転載の意図は、決して営利や誰かを困らせたいわけではなく
 これを読んで、木村拓也というプロ野球選手をいつでも思い出してほしいから。
 彼の人柄をいつまでも残したいから、…です。


┃アテネオリンピック日本代表として

アテネオリンピックでの野球日本代表は各チームから2名以内の選出という申し合わせ事項があり、広島からエースの黒田博樹と共に選出されたのは、当時連日スタメンに名を連ねていた前田智徳や 新井貴浩ではなく、グレッグ・ラロッカや緒方孝市と交代でセカンドやセンターで出場する機会の多かった木村だった。

オリンピックにおける野球競技(を含めた野球の国際大会)では、ベンチ入り可能な選手人数が非常に少ないため、複数のポジションをこなせる選手は重宝された。
アテネオリンピックの公式記録集では日本代表で唯一、ユーティリティープレーヤーである「U」の表記となっている。

試合出場は予選リーグの対ギリシャ戦(8回から谷佳知との交代でレフトを守る)と、3位決定戦となった対カナダ戦(8番レフトでフル出場)の2試合にとどまったが、試合での攻守のみならず、雑 用係やブルペンキャッチャーとしても活躍し、長嶋茂雄からは「率先して裏方の仕事を手伝い、銅メダルに貢献してくれた」と称えられた。


┃2009年9月4日、対ヤクルト17回戦

2009年9月4日、東京ドームで行われた対東京ヤクルトスワローズ17回戦。巨人の先発はセス・グライシンガーのため、相性を考慮して先発捕手は鶴岡一成、正捕手の阿部慎之助は一塁手として先発 出場した。

試合は両チーム同点のまま延長に突入。11回裏に最後の控え捕手である加藤健が打席に入った。しかし、加藤が頭部死球によって退場、途中交代してしまった。阿部と鶴岡はいずれも途中交代、次 の12回表を守る捕手がいない、という緊急事態になった。この時に白羽の矢が立ったのが、広島在籍時に捕手経験があった木村である。

原辰徳は捕手起用のために木村を探したが、加藤が退場する前から出番を感じた木村は、すでにブルペンに行き、捕り慣れていない変化球を捕球する練習を行っていたという。
木村は、何時でも、どのポジションでも出られるように5種類のグラブ(一塁手用、二塁手・遊撃手兼用、二塁手・遊撃手兼用予備、三塁手用、外野手用)を常に持ち歩いていたが、捕手用のミットは持っていなかったため、「一番柔らかかったから」として鶴岡のミットを、チェストプロテクターやレガースなどはブルペン捕手からそれぞれ借りたという「急造捕手」としてグラウンドへ出た 。

本人も試合直後に「突貫工事」と振り返るほどだったが、12回表に救援登板した豊田清・藤田宗一・野間口貴彦とサイン交換をしっかり行い、野間口には最後に左打者の内角をえぐる150km/h台の速球を放らせるなど、アグレッシブな配球を要求。
3投手・自身ともミスを犯すことなく無失点で切り抜けることに成功し、その役割を見事に果たした。

原はベンチを飛び出し、戻ってきた「捕手・木村拓」の肩を何度も叩いて活躍を讃え、当日の試合で解説を担当した広島時代の恩師・山本浩二は「涙が出そうになった」と言ったほどである。
ちなみに、直後のテレビ番組でのインタビューでは「(捕手は)もうやりたくない」と吐露したが、広島在籍時の監督である達川光男は、木村の性格からこの発言を「本職の捕手を立てるための気配り」と分析して賞賛した。


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