2011 / 03 / 17

2011 / 03 / 17 Thursday 23:45
将門様。

今日は出勤日。
政府も東京電力もインチキ保安院も、僕は全く信じていないので
恐る恐る自転車で出発しました。
(今日は冷たく強い風が吹き荒れました。風向きはどっちだ!?)

途中、またも立ち寄ったのは平将門様の首塚です。
さまざまないわくのある場所ですが、古来より江戸の守り神として奉られる将門様を
僕は尊敬してやまないので、心をこめてお参りしました。


「信じてない」をテーマに語ると、僕は全くの無神論者です。

宗教に陶酔する人を否定したり傷つけるつもりはありません。
信じるものは救われる・・・・宗教が純粋に機能すればそれに越したことはないと思います。

でも。あくまで持論だけど。
もし宗教(神や仏)というものが本当に平和や博愛や平等を謳うのなら、
なぜ世の中から争いや暴力はなくならないんだろうって思います。

もっといえば、自らの教えにそって他人の主義主張も認め合えるのなら
なぜ仏陀やキリストやマホメッドは共存することができないんだろうって疑問に思うのです。
どっちの教えが優れてるとか、あれは邪教だとか。
そんなことを言い始めるから、宗教での争いはいつの時代も絶えないのだと。

そんなことなら。

僕にとっては理想論の偶像崇拝よりも、日本史に登場する実在の人物の方が
よほど学ぶべきところが多く、信頼でき、尊敬し讃える対象になります。

平将門様もその一人。

京都など近畿地方を中心に政治や権力が動いていた時代、
将門様はここ東京、関東地方で圧政に苦しむ民衆のために立ち上がり、戦いました。
 @: 詳しくはウィキペディアをどうぞ。 ※ 別ウインドウで開きます。

確かに最後は京の天皇に対し、関東で自らを「新皇」と名乗ったことで
朝廷の怒りを買い、朝敵・逆賊の扱いを受けましたが
地方で虐げられてきた民衆からは絶大な人気を得ています。

弱きを助け、強きをくじく。

その行動力に、僕は心から尊敬し恥ずかしながら「様」をつけて呼ぶ次第です。

ちなみに、今日も会社ではおかしなことだらけでした。
特に最近は如実に、真面目にやってる人ほどバカをみる気風が漂っているように思えます。
一生懸命、黙々と作業に打ち込んでる人を見ると、
何かにつけペチャクチャペチャクチャ喋り、ウロウロと離席ばかりするバカは許せないし、
それを注意できない、しようともしない上司も同罪に無能に見えてなりません。

何より話にならないのは、そういう雰囲気を会社の特色として処理しようとするところ。
どこか決められない、注意できない、怒れないのを気づいていながら
何一つ変えようとしないところ。

少しずつでも確実に。
この会社にいると何が正しくて、何を信じていいのかわからなくなってきます。

そんなときこそ、日本史にたちかえります。

将門様や織田信長、坂本龍馬といった先人達が築いてくれたこの日本という国。
彼らの努力も活躍も奮闘もあって今があり、その日本人としての血が
脈々と受け継がれてると思うのです。

今の会社の何も変えられないバカな人たちも。
責任を押しつけ合う政府も東京電力もインチキ保安院も。
将門様にはどう映るんだろう。

僕はどんな状況下でも潔い人でいたい。


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